ネオスタイル物語
1969年12月24日
広島県安芸郡海田町で生まれました。
園田 和徳
父は、塗装業。
母は、その経営を切り盛りし、
7名の職人さんのお世話をしていました。
東海田幼稚園
東海田小学校
海田中学校を卒業。
後に花嫁として迎えるネオスタイルスタッフの
「トミー」さんも
同い年、そして、幼稚園から中学校まで
何度も同じクラスになりつつも、
恋が芽生えることは、あったのか なかったのか。。。
その後、
崇徳高等学校へ入学
当時は1学年600人以上の男子校!!
『今日から俺は』というテレビのような現実世界で、
昭和時代にふさわしい雰囲気で
高校生活を送っていました。
1985年 この頃は、アマチュアバンドブーム
音楽が好きが高じて、
高校時代は、バンドに明け暮れました。
そして、大学受験。
ここで大きな人生の選択をすることになりました。
「アメリカの大学に留学したい!!」
???
急にアメリカ????
実は、叔父がロサンゼルスに住んでいました。
小学6年生と中学3年生夏休みに遊びに行き、
ロス市内やディズニーランドで
マーチングバンドパレードに参加したり、
ドジャーズスタジアムでの試合前の
セレモニーで演奏するなど、
(バンド生活が活きた瞬間!!)
ありえない経験をさせてもらい、
この経験が
「アメリカの大学に留学したい!!」となったわけです。
周りは、関東や関西の大学へ行って
エンジョイしよう!という楽しい空気の中、
私はアメリカ行きを決意したのです。
ですが、
両親はすぐにオッケーとはいきません。
『条件付き』で賛成してもらえましたが。
その条件付きとは・・・。
【アメリカ大学留学時代】
今では、留学する手段はたくさんありますが、
当時30年以上前は、学生ビザの取得も大変でした。
広島に外語専門学校はなく、
大阪外語専門学校米国留学課へ1年間通うことになりました。
それから、1年間大阪で勉強に打ち込み、
いよいよアメリカへと行くわけですが、
先ほどの条件付きとは、
「大学に入って、卒業すること」
「1年間で入学出来なかったら、遊んでいた証拠として、帰国すること。」
しかし、アメリカへ行っても
大学に入学できるわけでもなく
とにかく必死で勉強しました。
半年後、大学に入学できることになりました。
しかし、キャンパスライフを
満喫する余裕はありません。
日本の大学は入るのが難しく、
入れば何とかなりますが、
アメリカの大学は、入るのは優しく、
入ってからが大変です。
入学後、3か月は泣きながら下校しました。
授業でうまくしゃべれないことが原因で、
教授からはレベルを下げたクラスに。
ネイティブのクラスメイトには
席を離れて座られる屈辱。
スピーチのクラスでは、
ネイティブ学生20名の前で、
一人ずつスピーチをするのですが、
留学生だからといって、カンペはありません。
途中何度も止まり、シーンとした中、
泣いてしまう始末。
あの空気感は今でも
鮮明に覚えていますし、
度胸が必要な時は
あの時を思い出して勇気づけたりします。
入学後は一人暮らしを始めたのもあって、
コミュニケーション力が落ち、
いわゆるカルチャーショックを受けて、
無気力生活をしていました。
ただ天井を見つめて、
「こんな生活していていいのだろうか」と
何度も思いながら泣いいました。
そんな私に気づき、トミーさんが
毎日欠かさず手紙をくれました。
当時携帯電はというものはなく、
手紙でのやり取りをしていました。
日本からアメリカまで手紙が届くのは1週間。
毎日届く手紙に
だんだんと気持ちの変化が出てきました。
このままではいけない。
外に出よう!!もっと頑張ろう!!
そう思うと
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
手紙は、今でも大切に保管しています。
【大学専攻は旅行業務】
世界を飛び回って
お客様の旅行をすばらしい思い出を残す役目に
つきたかった。
その勉強はとても楽しく、
これを頑張って、
ロス市内の旅行代理店に
就職できればなと思っていました。
そんな夢もあって、
いつまでも凹んでいられないと、
父に命令として下されていた
「ゴルフだけはしっかりやってこい!」という
意味の分からい命令を思い出し、
ゴルフを始めました。
アメリカのゴルフ場は一人で行っても、
他に一人で来たもの同士で組み合わせてもらえ、
ラウンドが出来ます。
そこで、自己紹介から始まり、
色々話す機会もでき、
プレー代も安く、
アルバイトもさせてもらえたので、
ゴルフをしっかりやることができました。
「ゴルフだけはしっかりやっとけ!」
このことがのちに、
今現在にも生きた大きな財産となり、
父親に心から感謝してしています。
【出会いに感謝】
これまでの人生を書いた中で、
1番は「人との出会いに感謝」です。
たくさんの友達や先輩方にかわいがって頂き、
今なお、たくさん助けて頂いております。
【外国の建物】
学生時代最後には、
他国の友達とシェアハウスをしていました。
大きな平屋で高い天井、
シンプルだけど重みのある外観、
室内はすべて塗り壁、
テンション上がる家でした。
すごく苦労した留学時代も卒業が見えて、
そんな家に住んでいると
一生帰りたくないと思うのは、
私だけじゃないと思います。
ちなみにその家は当時6000万円くらい
あれから30年以上経った現在は
2億円以上するそうです。
それだけ今のカリフォルニア州の不動産や
建物の価値が高騰し、
リノベーションバブルだということです。
私はそもそも外国の建物に大変興味があり、
そういった面でも世界の各国の建物も見て
回りたかったくらい好きなのです。
古くても美しい、
古くても直して、直して、大事に使う。
まるでデニムの価値のようですが、
「サイズが大きくても小さくてもシンプルでオシャレ」
これが将来の
資産価値を高めることができる基本なのだと。
シンプルであれば、
将来の時代に合ったリノベーションもしやすいという
理論があるのだと、
たくさん見てきた中で、
今はすごく分かります。
このことは、
今現在の「家づくり」に
生かされているなと思っております。
そういった事を踏まえたご提案を
させて頂こうと思っております。
【大学卒業後の進路】
大学卒業のメドも立ち、
次に進むことを考えていた矢先、
父親の体調が崩れ始めます。
バブルもはじけ、
先の見通しに注意しながら
進まなければならなかった時代に、
長期入院(3か月)を下されました。
「ちょっと帰って手伝うよ」ということで、
口座にお金だけ置いて、
車・住まいなどは一度取っ払って、
帰国しました。
これが塗装業を継ぐドラマの始まりでした。
もうアメリカへは帰れない。
そんな予感は十分にしておりました。
まだインターネットなんて言葉を
聞き始めた感じの時代、
手紙や電話が当たり前で、
携帯電話やメールなんてなかった時代です。
帰ってみないと様子もよく分かりませんでした。
帰って手伝うとはいえ、
あとを継ぐつもりは全くありませんでした。
私の人生にたくさんお金を払って頂きましたが、
やはり旅行関係の夢は捨てきれず、
空港で外国人をサポートする業務などへの就活もし、
新しく出来る空港への内定も頂いておりました。
しかし、数か月手伝っていて、
現場で毎日職人さんたちと過ごしていると、
モノづくりの楽しさや達成感を
味わうことができたのです。
お客様が喜んで下さっている笑顔を見たとき、
旅行業務や塗装業などの話ではありませんでした。
若い私なりに素晴らしさや難しさを
感じることができたのです。
【継ぎます】
父親に改めて話しました。
職人がたきな父親も
さすがにとても喜んでくれました。
そこから、7年間 父親が他界するまで、
よく喧嘩をしながら、
色々仕事を叩き込んでくれました。
父の代わりにゴルフコンペなどのお付き合いも、
アメリカで必要以上にやっていましたので、
何の問題もなく、楽しんですることができました。
アメリカで学んだゴルフもとても役に立ち
たくさんの人と出会い、
成長することが出来ております。
本当に感謝しております。
【ネオスタイル】
父親は肝臓がんで他界しました。
塗装屋さんあるあるなのですが、
昔ながらの塗料には
体に悪い化学物質などが含まれていました。
シンナーなどに混入された有機溶剤が、
そういったものになります。
それが傷や爪と皮膚の隙間から入り、
将来は肝機能障害になりやすいのです。
最近の塗料は水性化されていたり、
化学物質の入らない自然塗料などが存在しております。
しかし、私の記憶でも20年以上前となると
そういった環境への意識が
まだまだだったと認識しています。
違う意味でも環境への意識が
日本は遅いと思っています。
そういった塗装業者あるあるの事が
原因だったのか?
または単にお酒の飲みすぎか分かりませんが、
57歳で他界しました。
1978年より「瀬野外装」という
会社名で設立し21年間、
頑張ってきた父が亡くなる10か月前。
2000年1月より
「ネオスタイル」に社名変更しています。
喧嘩ばかりして、
強気な父親でしたが、ガン末期となると、
とても弱々しくしんどかったのだと思います。
「背中が痛い!さすってくれ!」と
初めて私に言ってきました。
私は小さくなった背中を
さすりながら言いました。
社長「会社名変えてもいいかな?」
父「どんな名前?」
社長「ネオスタイルって考えたんじゃけど」
父「なんじゃそりゃ・・・えーよ、はぁお前の好きなようにせぇ」
父とはたくさん話をしてきました。
お互いの想いを語り合い、
父は、私の想いを理解してくれました。
この時の父との会話は
今でも鮮明に覚えています。
私が、何かのアクションを起こす時、
必ず父とのあの会話を思い出し、
心の中の確認作業となっております。
Neostyle ネオスタイル
『新しい情報(Style)をいち早く取り入れ、
新しいこと(Style)を常に求め、
誠実にお客様の立場になって考えたご提案をしていく』
当初考えた由来です。
ネオスタイルとして22年目を迎えましたが、
先代がネオスタイルとして
会社の背中を押してくれていることは、
とても実感しています。父に心から感謝しています。
【塗装業に加えて、工務店事業も】
昨年で私の社長業もちょうど21年。
先代と同じ年月なのだなと書いていて気づきました。
これまで43年間、弊社は、官公庁はじめ、
たくさんの建設会社様や工務店様から
塗装のお仕事を頂いてまいりました。
「信頼と実績」だけを胸に秘めて
日々頑張ってまいりました。
この5,6年前から、塗装以外のことで、
ご相談を受けることが増えてきました。
「トイレを和から洋へ」
「階段がミシミシ鳴る」
「カーポートつけたい」
「ベランダつくりたい」
「内装替えしたい」など、
お声をかけて頂きます。
いえ、そのお客様は厳密には
どこに頼んだら良いか分からないのです。
私はその都度の内容によって請け負ったり、
専門業者をご紹介したり、
分からないとお断りしたりしていました。
これは、全然「ネオスタイル」ではないのです。
約20年前に、これからの時代、
世の中の流れや考え方が
早いスピードで変わっていく中で、
常に新しい情報や提案が出来るのが
「ネオスタイル」である。と決めたにも関わらず、
塗装のことでしか貢献できていない
自分に嫌気がさしていました。
これからは、どういう形がお客様に役立つのか?
考え直した時、
自ら工務店事業を起こし、
直接新しいものや将来へ向けて、
一人一人のお客様に合った
ご提案をさせて頂きたい。
無理のない家づくり、
かけがいのないご家族の幸せな住まい生活、
そして、資産価値の上がる住まいづくりを
話し合って創っていきたいと思っております。
【ネオスタイルの役割は変わっていきます】
☆ 塗装工事の技術をこれからも将来に繋げて活かしていきます。
☆ 「家を建てる」工務店事業を展開致します。
全国から新しい情報が常に入るシステムを
取り入れることを構築しました。
それによって、
新築戸建住宅を建てたい方々に
将来展望を踏まえた、
新しい情報と新しい提案力で
幸せな家づくりを致します。
☆ 工務店事業に伴い、塗装業のお客様にもご要望にお応え出来るリフォーム対応も可能となります。
【ネオスタイルの家づくり】
色々過去をお話しましたが、
これからネオスタイルがどのような家を建てるのか?
またどのような思いがあるのか?を
話したいと思います。
ネオスタイルの家づくりのテーマは
「デザイン×自然素材」です。
テーマの中身は4つ。
1 【素材(マテリアル)】
将来「資産価値の落ちない住宅」にするためには
デザイン力です。
そのデザイン力をつけるには素材が重要です。
塗り壁やレンガ、タイル、
そして木質系のものを活かして、
極力、工業製品のものは
使いたくないと思っております。
本物の素材を使って経年美化も同時に考え、
例えば床は無垢の床材です。
何年も歩いていると飴色に変わってきます。
そういう価値が
上がっていくということに無垢材を使う。
壁はビニールクロスを極力使わないようにし、
呼吸する壁ということで、
『珊瑚の塗り壁』を推奨します。
汚れが目立ってきたら同じものを塗ることで、
呼吸する壁を維持する。
そして、身体にも優しく安心です。
2 【外観(プロポーション)】
その土地にあった外観を
まもっていかなければならないと思っています。
はじめに外観デザインから
物事を考えていくことは、
非常に大事です。
外壁も通常なら建材ものを
貼っていくという仕上げもありますが、
その上に左官塗りをする、
昔からある左官技術を活かして外壁を仕上げます。
3 【細かなことの積み重ね(ディテール)】
特に外観においては、
細かな出っ張りや納まりに
気を配るという積み重ねが
外観デザインを変えていくのだと
思っております。
例えば窓廻りの納まり、
雨樋の納まりや換気フードが
ボコッと出ていたりしたら
台無しになるので、
そういった細かな所に
気を付ければ気を付けるほど、
建物全体を美しくするということがあります。
4 【メンテナンス力の継続】
家を建てた後が大事であって、
何かあった時に
駆け付けられる体制が出来ているのかが、
とても大事です。
法律では、
販売業者は構造躯体や雨水の侵入に関して
引き渡しから
10年間保証することが定められています(瑕疵保証)。
お客様の大切な住宅に
末永く快適にお住まい頂けるよう、
保証体制やメンテナンス体制が
整備されております。
そういった4つの事を踏まえた上で、
お客様のライフスタイルに合わせて、
将来自由に間取りを変更出来やすいプランを
素早くご提案も出来ます。
また、デザインと言っても、
偏ったデザインでなく、
和風なデザイン、シンプルなデザイン、
そして、重厚感のあるデザインなど、
さまざまなデザイン住宅を
お客様に提供できますし、
設計のプロ集団と取り組むことも出来ます。
会社は小さくても、
お客様の不安を解消させて頂く準備が出来ているのが、
工務店の義務だと思っています。
そして、「家を建てたい」お客様だけでなく、
将来的には、
「家を建て替えたい、
二世帯住宅に建て替えたい」
「リノベーションしたい」
特に「古い中古物件を買って耐震化、
断熱性能を上げてリノベーションしたい」
地主様であれば、
「賃貸住宅を建てて土地活用したい」など、
すべての工事をやれるような
プロフェッショナルな会社でありたいと思います。
これが私の歩んできた人生の総括であり、
先代に歩ませて頂いた宝物。
大きな財産を活かして、
会社の存在価値も
高めていきたいと思っております。
それが43年以上会社に関わって頂いた
すべての方々への恩返しとなると思います。
是非、社会に貢献して
私の使命を果たしていきたいと思います。
ネオスタイルは、
2022年1月より歩き始めました。
ネオスタイル
園田 和徳
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